老害という言葉が嫌い
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現実世界でもネット上でもよく耳にする「老害」という言葉がどうも好きになれません。
老害とは、新語時事用語辞典によると、
「組織や社会で幅を利かせすぎて言動が疎まれる高齢者、あるいは、傍若無人な振る舞いによって若者に必要以上の負担や迷惑をかけている高齢者などを指す表現。ひらたく言えば迷惑な老人を侮蔑交じりに指す表現。」とのこと。
自分も老いる
人間誰しもいつかは老います。
そして、年を重ねるごとに、身体的な変化や認知力の低下などさまざまな困難に直面し、新しいものを受け入れることが難しくなります。
そういったことが要因で、高齢者が時に周囲に迷惑をかけることもあるかもしれませんが、それはもう当然と思うべきではないでしょうか。
年齢を重ね、身体的・認知的な機能が低下するのは自然なことであって、誰もが通る道です。
将来の自分の姿を思い描いたときに、もし「老害」という言葉が自分に向けられたら、、、
とても悲しいし心地よいものではありません。
将来の自分を思いやるという視点からも、「老害」という言葉は利用したくない、そう思います。
ビジネスでは老いによる能力の低下を感じたら身を引くべき
ただ、ビジネスをしていて老化による能力の衰えを自覚したら、そのときは潔く身を引くべきと考えています。
以前、「となりの床屋さんをみて思うこと」というブログでも書いたんですが、じぶんが若くいるため、元気でいるためだけを考えれば、ずっと引退しないことがいいんでしょうが、能力の低下を見極めて引退を決断する、あるいは働き方を変える、ということもビジネス上は必要だと思っています。
特に、上の立場にいる高齢者の場合、その能力が明らかに衰えているのに本人がそれを認めないとまわり(取引先や部下)が大変な思いをします。
私生活であれば、温かい目で見守ることが必要だし、そんな社会になってほしいと思いますが、ビジネスとなると話は別です。
お金を稼ぐということはきれいごとでは済まない部分があります。
高齢になって能力が落ちるのは当然のことなので、まずはそれを認めること。
認めた上で、ペースをおとして働く、社会貢献のために働く、など働く姿勢は変えるべきだと思っています。
迷惑な老人と同じくらい迷惑な若者や中年もいる
「老害」に限らずですが、主語が大きすぎるのが苦手です。
いわゆる、「最近の若者は○○だ!」とか「女性はみんな〇○と思ってる!」とか。
当たり前のことなんですが、老人も若者も女性も、それぞれ違う人間なんですよね。
たまたまその人の属性がそこにあるからといって、その属性ごと判断しちゃう感じがとても嫌だし、危険だなと感じます。
特にわたしは、どこにいても少数派な自覚があるので、「女性とは○○」「税理士とは○○」ってまとめて判断されちゃう感じが本当に苦手です。
「老害」に話を戻しますが、年齢的な衰えは別にして、迷惑な人は老人だけでなく、若者や中年にだって存在します。
迷惑の内容が年齢的な衰えによるものではない場合、それはあくまで個人の問題です。
高齢者と若者や中年で異なる価値観や意見がぶつかり合うことがあるでしょうが、そこで高齢者側の意見だけを「老害」という言葉でぶった切ってしまうのはなんだか不公平だなと感じます。
たまたま高齢者だったり若者や中年だったりするだけで、あくまで個人と個人じゃないか、と思うのです。
まとめ
聖人君子ではないので、老人に対して「この人、迷惑だな、嫌だな。」と感じることはあります。
でも、「老害」という攻撃的な言葉は使いたくありません。
「言語の7割はネガティブ」ということを考えると、意識してネガティブ言語をできるだけ使わないようにすることは大切なのかな、と思っています(^_^)