じぶんは無力だと知る

こんにちは、越谷市の税理士、恒川です。

世の中には、じぶんのチカラが及ばないこと、たくさんあります。

若い頃は 「わたしがなんとかしなければ!」 な意識が強かった気がするんですけど、

だんだんと 「いや、わたしなんかじゃ世界は救えんな。」 と分かってきました。

わたしなんて無力

しっかり者として育ってきました。

生徒会副会長で、陸上部主将。

頭がよく足も速い。

なんてできた子笑

幼少期、裕福ではなかったし、喧嘩も絶えない家庭だったわりには、なんでだかとってもいい子に育ちました。

で、そんな環境ゆえなのか、「わたしがなんとかしなければ」感がとても強くなっちゃった気がします。

今でも、わたしがしっかりして家族を支えなければ崩壊するのでは、と思ったり。

勤務時代は、いまわたしがやめたら会社がまわらなくなるのでは、と思ったり。

顧問先に対しても、わたしがしっかりしないと会社がうまくいかないのでは、なんて考えたり。
(本業ではなく、裏方とか税務処理とか、という意味で。)

でも実際には、

わたしがいないならいないで家族はちゃんとまわるし、死にはしない。

会社はわたしひとりが抜けたところでつぶれない。

顧問先も、代わりの税理士を見つければ済む話。

当然ながら、すべての場面でわたしなんぞいなくても大丈夫なのです。

これは、悲観的になってるわけじゃなくて、すごくポジティブな話。

すべてを抱える必要なんてないのだと、じぶんへのエールです。

どうにもならないことを受け入れる

・地震や台風などの自然災害

・うまれた環境や家柄

・突然の病気やケガ

など、どれだけ頑張っても、じぶんのチカラではどうにもできないことって、世の中にたくさんあります。

ヨガのはっしそく(八支則)のひとつに、イーシュワラ・プラニダーナ(信仰)という考えがあって、それは、

時代や自然の力など、じぶんではどうにもならないことを受け入れる。

というもの。

これって、とても大切なこと、ですよね。

で、ここを理解している人は結構多い気がします。

ただ——それ以上に大切なのは、

じぶんのチカラ(つまり努力)でどうにかできそうなこと⇒やれるだけやってみた⇒うまくいかない!!を受け入れること

じゃないかなと。

だって、やれるだけやるって、どこまで?って思うわけです。

血反吐はくまでやれなのか。

いや、さすがにそこまでじゃないけど、ごはんや寝るのは後回しにして、限界が来るまでやり続けろなのか。

——いや、ムリ笑

まとめ

・時代や自然の力など、じぶんではどうにもならないことは受け入れる。

・じぶんのチカラでどうにかなることであっても、ある程度やった後は、結果が思うようじゃなくても受け入れる。

・すべてを抱える必要はない。抱えなくていいもの、抱えたくないものは、そっと手放す。

うまくいかないことを、全部「時代が悪い!運がなかった!」と他責にはしたくないんですけど、逆に、ぜんぶをじぶんのせいにする必要もないよな、と思ってます。

——あ、でも。ひとつだけ。

誤解されたくないので言っておくと、頑張るべきときに頑張るのは、めちゃくちゃ大事だと思ってます。

常にゆるゆるでいいとは思わない。

わたしも税理士になるために、それなりに必死で勉強しました。

血反吐はくほどではないけど笑、そこは胸を張って「やった」と言えます。

それぞれの思う勝負どころには、ちゃんと力を入れたほうがいい。

つまり、やるときはやる。

ただ、それを「日常」とするのはきついよ、ってことです。

一生、全力投球はムリってもんです。